こんにちは、みなさま。
臨床心理士と公認心理師をやっております、『トアルしんりし』と申します。
現在、婚活で出会った会社員の伴侶と発達障害(自閉スペクトラム症と中度知的障害)もちの4歳・娘と3人で暮らしています。
☞このブログでは…トアルしんりしが子育て中に自然に感じること、考えることの内容が、もしかしたら、この世界のどこかで過ごす人にとって〈新たな視点〉となって、何かしらお役に立つこともあるかもしれないと思って運営しております!
前回ご紹介したプライベートで凹みに凹んだ私がよく読んでいた本(置かれた場所で咲きなさい)について、続き部分の内容にあたる第3章を今回は感想もあわせてご紹介していきたいと思います。
☞過去記事(パート2)はこちらです👇
辛い時こそ読んでしまう、そんな本でした!第3章『美しく老いる』の内容と感想もあわせてご紹介***
前回に引き続き、こちらの書籍をご紹介しますね👇
タイトル:置かれた場所で咲きなさい 幻冬舎文庫 渡辺和子
☞2016年3月21日付オリコン週間“本”ランキングの総合部門にあたるBOOK部門にて、週間売上0.6万部で50位、累積売上部数を先週3月14日付時点での199.8万部→200.4万部とし、発売から3年11カ月で200万部突破したとのこと👇
☞ちなみに、もくじを参照するとこんな感じです↓
第1章「自分自身に語りかける」
第2章「明日に向かって生きる」
第3章「美しく老いる」
第4章「愛するということ」
本の内容を少しご紹介します~第3章・『ふがいない自分と仲よく生きていく』~
第3章「美しく老いる」について、少し内容をご紹介したく思います。
3章の項である、『ふがいない自分と仲よく生きていく』より以下の文章を引用します👇
悩みは、嫉妬に似ていると私は思っています。初めは小さかった悩みも、そこにばかり目をやっていると、どんどん雪だるまのように膨らんでいく。(略)
これまで持っていたものを失う。それは悲しいことです。
しかし失ったものばかりを嘆いていても前には進めません。ふがいない自分としっかり向き合い、そして仲よく生きていくことです。
まわりにはたくさんの人がいます。でも、二十四時間ずっと一緒にいるのは自分だけ。その自分を嫌うことなく大切にしてあげなくてはいけない。
悩みを抱えている自分もまた、いとおしく思うことです。
~置かれた場所で咲きなさい 第3章美しく老いる ふがいない自分と仲よく生きていくより一部抜粋にて引用~
感想を少し・・・
この項の文章を読んで、まず感じたのはこんなことでした。
「そうか。どんな自分でも24時間過ごさなければいけないわけだ…嫌な自分を避け続ける人生もあれば、大好きな自分と過ごしていける人生もあるわけか」
それだったら後者の人生が良いなぁと私は感じたのです。
とはいえ、いきなりそれまで向き合ってくるのを避けていた『嫌な自分』と向き合えるのか?、といっても現実として難しいところがあるかと思います。
カウンセリングでもそうですが…自分を見つめる作業は、とても根気のいるものであり、個人的な感覚としては『修行』に匹敵するくらいの苦難なのでは?とさえ感じます。
しかし、日々の向き合い作業の中で、それまで『嫌だ』と思っていた自分の一面がある日ふと『嫌、とも言えないかも?』という感覚に変わっていく瞬間が見られたりすることも事実、あったりするのです。(まぁ、これは私の個人的体験ですが😅)
すると不思議なことに、【あばたもえくぼ】の状態となっていき、気づくと渡辺さんの述べている様な、『悩みを抱えている自分もまた、いとおしく』思える様になっていくこともあるのではないかなぁ、と希望を感じている自分がいたりします。
本の内容を少しご紹介します~第3章・『道は必ず開ける』~
3章の項である、『道は必ず開ける』より以下の文章を引用します👇
迷うことができるのも、一つの恵みです。ナチスの収容所に送られた人々には、迷うことは許されませんでした。すべてが命令による強制であり、人は、選択する自由、つまり、迷う自由を剥奪されていたのです。
「迷った時には、それぞれのプラスとマイナスを書き出し、重みによって決めなさい」修道生活か結婚生活かの選択に迷っていた私に、上司であったアメリカ人神父が教えてくれたことでした。
~置かれた場所で咲きなさい 第3章美しく老いる 道は必ず開けるより一部抜粋にて引用~
感想を少し・・・
渡辺さんの上司のアメリカ人神父の方が仰っていた「迷った時には、それぞれのプラスとマイナスを書き出し、重みによって決めなさい」という言葉は、思い返すと、私自身も似た言葉を母に言われており、その教えに懐かしくなりました。(ちなみに、母は特に信仰とかはしていませんでした)
『迷うことができるのも、一つの恵みです。』
とナチス収容所の件を出し、選択する自由の有り難さを説いた渡辺さんの言葉には、どうにも渡辺さんの幼少期の痛烈な実体験の存在が関係しているように思えてなりません。
軍人である父の死を目撃し、先ほどまで当たり前に存在していた『日常』を突如として奪われた渡辺さんの心中には、ナチス収容所に送られた方々と似た絶望が、もしかしたらあったのかもしれません。
そんな壮絶な経験をなされた渡辺さんが綴るからこそ、『迷うことができるのも、一つの恵みです。』という言葉の重みを、読み手であるこちらも深く感じ取れるのかもしれません。
本の内容を少しご紹介します~第3章・『老いは神さまからの贈り物』~
3章の項である、『老いは神さまからの贈り物』より以下の文章を引用します👇
上智大学学長を務められたホイヴェルス神父は「最上のわざ」という詩の中で、老いについて、「人のために働くよりも、謙虚に人に世話になり……まことのふるさとに行くために。自分をこの世につなぐ鎖を少しずつ外してゆくこと」と書いておられます。かくて「老い」を意識する時、人は柔和で謙虚にならないといけないのです。
「老いは神の賜物」といい切れる自分にはまだ到達していませんが、いつか、そのように意識できる自分になりたいと願っています。
~置かれた場所で咲きなさい 第3章美しく老いる 老いは神さまからの贈り物より一部抜粋にて引用~
感想を少し・・・
私自身は、渡辺さんほど寄って立つ様な強い信仰心がある訳ではないのですが…日々、生きていることに「何かしら」の意義や意味を見出せると心が軽くなることもある、と感じることがあります。
「お陰様で」
この言葉は私の好きな言葉の一つです。
みなさんのおかげでという意味の中には、周囲の身近な人々や環境、さらにはもっともっと漠然と説明し難い現象も含まれている気がしています(個人的には)。
奇跡の様な現象も含め、私を取り巻く環境に日々感謝して今後も謙虚に過ごせていけたらなぁと思います。
若い頃と異なり、「老い」は得るものよりも失うものの方が多い気がします。
それは今現在の年齢の自身でもそう感じるため、数十年後にはその自覚はもっともっと強まることでしょう。
老いを受け入れていくことも一朝一夕では難しい行為ですから、この点もこれからの日々の中でじっくりと取り組んでいけたらと思います。
まとめ
今回は、プライベートで凹みに凹んだ私がよく読んでいた本(置かれた場所で咲きなさい)について、続き部分の内容にあたる第3章を今回は感想もあわせてご紹介しました。
美しく「老い」ていくことは、なかなかに難しいことかとは思いますが、容姿の美しさではなく、『心持ち』の美しさを目指すのであれば、渡辺さんのように様々な見識を深められる努力をしていくことが、一つの方法なのかもしれませんね。
まず私に出来ることは、今もてる技術(心理学に関わる技術)を磨いていきながら、娘と伴侶との時間を積み重ねていくこと、その中で感じ・考え・引っかかりを覚えたことを大切に過ごしていくことなのかなぁ、と思いました。
- 同じ子育て時間、折角過ごすならストレスレスでいたい!
- 子育てを通して、親である自分も成長できたらなと思う
- なかなか解決できない問題って子育てにはあるよね?
- みんなはどうやってストレス発散してるの?
- みんなは自分と同じことで悩んだりするのだろうか?
などなど…
☞障害の有無関係なく、ひとりひとり個性をもった子ども達を育てている親御さんにとって、『毎日大変だけど…子育てって、楽しいこともあったりするな』、『私たち頑張ってるよね~』、と思える体験をこのブログを読むことで、少しでもよいのでしてもらえたら嬉しいですね***
ではでは、またお会いしましょう~!
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