こんにちは、みなさま。
臨床心理士と公認心理師をやっております、『トアルしんりし』と申します。
現在、婚活で出会った会社員の伴侶と発達障害(自閉スペクトラム症と中度知的障害)もちの5歳・娘と3人で暮らしています。
☞このブログでは…トアルしんりしが子育て中に自然に感じること、考えることの内容が、もしかしたら、この世界のどこかで過ごす人にとって〈新たな視点〉となって、何かしらお役に立つこともあるかもしれないと思って運営しております!
【ごみ拾い=自分と向き合う行為って、どういうこと?】関連記事のご紹介&清掃活動(ごみ拾い)についてトアルが思うところをお伝えします📝
今回、ご紹介したい記事がこちらになります👇
👆ごみ拾いは単なる清掃活動ではなく、自分と向き合う行為だった/ELEMINIST
上記の記事の日付は2021年6月であり、コロナ禍でのごみ拾いという背景を理解しながらも清掃活動を行った人たちの体験を知ることが出来る貴重な記事であると感じました。
では、その内容の一部をご紹介していきたいと思います❗️
記事内容を少しばかりご紹介したいと思います👇
ELEMINISTは「ごみゼロの日」である5月30日に、総勢24人でごみ拾い活動をおこなった。この記事では渋谷エリアでおこなったごみ拾い活動の様子をレポート。また、ごみ拾いをしたことで身に起きた変化についても僭越ながら紹介したい。
INDEXとしては以下の通りです👇
- 人目を避け、捨てられる「ごみ」
- ごみ処理に「当事者意識」が芽生えた
- ごみを通して自分と向き合う
記事内では、活動の様子が写真で掲載されています。
気になった方は、是非ともチェックしてみてください✨
当日は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を考慮し、渋谷、新宿、中目黒という3つのエリアにわかれ、1チーム6人で行動。
以下に、上記項目の内容の一部をご紹介していきます。
人目を避け、捨てられる「ごみ」 より🔍
まずは、渋谷エリアで拾ったごみの量から。
約1時間30分、道玄坂付近でごみ拾い活動をおこない、ごみ袋8つ分を集めることに。(略)
道玄坂にある花壇には、複数人がそこに腰かけ、飲み会がおこなわれていたような痕跡があり、飲みかけのアルコール飲料が放置されていることも……。ごみ箱を探すのが面倒になったのか、コンビニの目の前に缶やペットボトルがポイ捨てされていることもあった。(略)
ごみは見えにくいところにもあった。
きれいに植えられている花や木々のなかに、隠すようなかたちでごみが捨てられているのだ。背景には“誰にも見られないなら問題ない”という考えがあるのかもしれない。(略)
この日、一番印象に残っているのが喫煙所付近での出来事だ。
いま渋谷駅付近の喫煙所は「立入禁止」のテープが貼られている。その近くには路上喫煙をやめるように訴えるサインもあった。
……にもかかわらず、非常にたくさんの吸い殻が落ちていたのだ。また、ごみ拾いをしている最中にタバコを吸っている人もいたし、清掃をした場所でタバコを吸い始める人も。
他人に求めることではないとわかっていながらも、もう少し思いやりのある行動をとってほしいと、心の底から思った。
~ごみ拾いは単なる清掃活動ではなく、自分と向き合う行為だったより一部抜粋にて引用~
ごみ処理に「当事者意識」が芽生えた より🔍
5月30日から約1週間が経ち、いくつかの変化を実感している。
まず、ごみ拾いをした直後から感じているのが、これまで以上に道端のごみが目に入るようになっていることだ。自分でごみを拾い、その状況に悶々としたからこそ、自然と視野に入ってくるようになっている。(略)
とはいえ、なによりも当事者意識が芽生えたことが大きい。ポイ捨てをしていないにせよ、特定の場所にごみを出しているにせよ、これまでは何かがごみになった瞬間に“もう自分のモノではない”という意識が生まれていた。
ごみ拾いを通して改めて気づいたのは、ごみは自分の代わりに誰かが処理してくれているということ。
~ごみ拾いは単なる清掃活動ではなく、自分と向き合う行為だったより一部抜粋にて引用~
ごみを通して自分と向き合う より🔍
ELEMINISTは5月30日に合わせて、読者の方々にごみ拾いと、Instagramにハッシュタグ「#FINDME2021」をつけてその様子をレポートしてもらうように呼びかけていた。
その「FIND ME(自分を見つける)」という言葉は、ごみを通して自分と地球に向き合い、新たな自分を見つけてほしく、採用した経緯がある。
身に起きた変化はいくつでもいいし、ゼロでもいい。変化が大きいから評価されるわけでもないし、小さいから悪いわけでもない。
重要なのはごみをきっかけに自分と対話すること。(略)
そして、ごみ拾いは単にごみを拾うだけの清掃活動ではなく、自分と向き合うきっかけになる力を持っている。
~ごみ拾いは単なる清掃活動ではなく、自分と向き合う行為だったより一部抜粋にて引用~
清掃活動(ごみ拾い)についてトアルが思うところをお伝えします📝
きれいに植えられている花や木々のなかに、隠すようなかたちでごみが捨てられているのだ。背景には“誰にも見られないなら問題ない”という考えがあるのかもしれない。
この部分の内容を見て、『人目がなければ問題ない』という認識は改めようと強く思いました。
実際にこうしてごみ拾いをしてくれていた人たちによって見つけられているため、『人目に触れてしまう』ということを常に忘れてしまってはいけないなぁ…とも思う次第です。
私自身も、娘と出かける際は必ず袋を持参するのでごみはそこに入れて持ち歩けるのですが…袋を忘れた際は手に持っているごみをどうしようかと困ることもあり、最終的にはごみ箱を見つけて捨てるか、自身のポケットにごみを入れて自宅のごみ箱に捨てるという選択肢をとることが殆どですね💦
確かに、かさばる大きさのごみに関しては、荷物になるためにあまり持ち歩いていたくない気持ちは個人的に理解できます。
だからといって、人目のつかない場所に捨てるという選択肢をとる必要性はないのでは?…とも思ってしまう私です。
その点は、親としても娘に対して都度伝えて行きたいと思ったことでもあります。
まず、ごみ拾いをした直後から感じているのが、これまで以上に道端のごみが目に入るようになっていることだ。(略)
とはいえ、なによりも当事者意識が芽生えたことが大きい。
『当事者意識』を持って生活をすることは、ごみ問題のみならず様々な場面においてもついつい当てはまってしまうのではないでしょうか。
私も自身のごみに関しては責任を持てていても、つい道端に落ちているごみ全てに対しては自分のごみ以上に責任をもてていないところがあるかと思いますので、この記事を読み、改めて当事者意識をもって今の自身にできることを考えてスモールステップででも実行していきたいところです。
我が家の娘は、特性も影響して人の気持ちを想像するのが苦手な部分がありますが、幼少の頃から親である私や伴侶から「自分のごみだけでなく、目についたごみもキレイにしてみようか」といった、他者の出したごみについても関心を寄せられるように働きかけられたらなぁ…と思う次第です。
身に起きた変化はいくつでもいいし、ゼロでもいい。変化が大きいから評価されるわけでもないし、小さいから悪いわけでもない。
重要なのはごみをきっかけに自分と対話すること。
『重要なのはごみをきっかけに自分と対話すること』ということは、どこかカウンセリングとも重なる部分があるなぁ…とも感じました。
カウンセリングでは、相談者がカウンセラーとのやり取りの中で、時に自身の嫌な部分や認めたくない部分を見つめて発見していく意味では、それは『相談者自身との対話』も求められる行為ともいえるでしょう。
つまり、「ごみを持ち帰る」または「ごみ箱に捨てる」以外の選択肢をとろうとする自身の行為を見つめ直すことをしないことは、自身との対話を拒んでいる状態ともいえるかもしれません。
この点は、今は娘には上手に教えることが出来ないかもしれませんが…少しずつでも親として自分と向き合うことの意義や意味なんかも伝えていきたいなぁ…なんて漠然とではありますが思っております💦
まとめ
今回は、『ごみ拾いは単なる清掃活動ではなく、自分と向き合う行為だった』という記事をご紹介させていただきました。
ごみ拾い(清掃活動)は地球にやさしいという視点を大切にするというだけではなく、自分自身を大切にするという視点も踏まえた行為である、ということが実感できた気がします。
記事掲載のされているサイトより掲載されているショップからは、自然由来成分の化粧品や使い易くデザイン性にも優れた持続可能な製品などが多数掲載されているため、気になった方は是非ともチェックしてしみてください💡
などなど…
☞障害の有無関係なく、ひとりひとり個性をもった子ども達を育てている親御さんにとって、『毎日大変だけど…子育てって、楽しいこともあったりするな』、『私たち頑張ってるよね~』、と思える体験をこのブログを読むことで、少しでもよいのでしてもらえたら嬉しいですね***
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