こんにちは、みなさま。
臨床心理士と公認心理師をやっております、『トアルしんりし』と申します。
現在、婚活で出会った会社員の伴侶と発達障害(自閉スペクトラム症と中度知的障害)もちの4歳・娘と3人で暮らしています。
☞このブログでは…トアルしんりしが子育て中に自然に感じること、考えることの内容が、もしかしたら、この世界のどこかで過ごす人にとって〈新たな視点〉となって、何かしらお役に立つこともあるかもしれないと思って運営しております!
今回は、過去記事でとりあげた『超訳百人一首 うた恋い。』について、今度はその2巻(『超訳百人一首 うた恋い。2』)の中からいくつかの場面をご紹介と、私自身が過去の経験と照らし合わせて学び・考えたことを書いていきたいと思います。
☞過去記事(パート3)はこちらですね↓
うた恋い。2とは?&そこから学び・考えたことをご紹介!
今回、ご紹介する漫画がこちらになりますね👇
👆超訳百人一首 うた恋い。2 杉田圭 KADOKAWA
👆電子書籍版(楽天)はこちらになります♪
Amazonプライム『30日間の無料体験』はこちらうた恋い。とは?の振り返り🙄
漫画・【うた恋い。】は、公式サイトによるとこのように紹介されています↓
鎌倉時代初期の1235年(文暦2年)、宇都宮頼綱の依頼で藤原定家が選んだといわれている百人一首。(略)
成立から千年近く日本人に愛され、詠い継がれてきた、人間ドラマ、恋愛ドラマが、31文字の中に閉じ込められています。
『超訳百人一首 うた恋い。』はそんな百人一首のうつくしくせつない数々のドラマを、わかりやすい超訳コミックでお届けする現代の百人一首絵巻です。
~超訳百人一首 うた恋い。公式サイトより一部抜粋にて引用~
☞ちなみに、【うた恋い。】はアニメも過去にやっていました!
↓
👆アニメの方は、U-NEXTで配信しています😉コミックも読めますよ👍✨
☞作者(漫画)の杉田圭さんのTwitterもご紹介↓
☞以下に、コミック2巻で私が印象に残っている回(和歌やセリフ)をご紹介いたします!
あまつ風 雲のかよひ路(ぢ) ふきとぢよ をとめの姿(すがた) しばしとどめぬ<僧正遍昭(そうじょうへんじょう)>
六歌仙(ろっかせん)の一人であり、桓武天皇の孫、百人一首の21番の作者・素性(そせい)法師の父。出家前は宮中で評判の美男だったといわれる良岑宗貞(よしみねの むねさだ)。
小野吉子(のちの小野小町)とは幼馴染であった宗貞は、妹の様に可愛がっていたが・・・吉子が後宮に入る(入内)という噂を聞き、吉子が求婚する殿方に度胸試しにと行っている「百夜通い」に成り行きで挑むこととなる。
吉子は密かに宗貞を慕っていたが、知り合いとはいえ結婚のためには容赦なく「百夜通い」の条件を宗貞にもかすのだった。
吉子は、結婚後は宮仕えをして和歌や美を競って自分を高めていきたい、といった理想とする夢を話すが・・・宗貞は帝のお手付きになって欲しくないなどの理由で吉子の言葉を遮ってしまう。
その後も、変わらぬ夢を吉子が口にするため、宗貞とはこのようなやりとりを作中ではしています👇
宗貞:・・・・・・君が男なら 私もその夢を応援したかったよ。でも君は女だ。それも美しい。再三伝えたように 御所での女の苦労は君の想像を絶する。私は君に、私の祖母のようになってほしくないんだ。
吉子:幸せにしてあげなきゃいけない 守ってあげなきゃいけない生き物!
宗貞:・・・・・・否定はしないよ。今の時代 女性はどうしてもそういうものだ。君もそれが分からないほど子供ではないだろう。どうしてわざわざつらい道を選ぼうとする。君は幸せになりたいんじゃなかったのか。
吉子:幸せになりたいわよ!でも誰かにしてもらいたいんじゃないわ!私が!自分の力で幸せになりたいのよ!
待っているだけの 守られなきゃ生きていけない女になるのはイヤなの!!
私は悲しかった!! どうしてそれが分からないのよ!!
~超訳百人一首 うた恋い。2 和歌物語2 僧正遍昭(良岑宗貞)&吉子より一部抜粋にて引用~
そんなやりとりもありながら、月日は流れて、遂に百夜目…
酷い大雨の中、宗貞は吉子の元に通う途中で橋の崩壊に巻き込まれ、安否が不明となる。
その知らせを知って動転した吉子の元に、一命をとりとめて現れた宗貞は求婚を口にするも…吉子の入内への決意は固く、その志に身を引く覚悟を決める宗貞。
宮中でのお披露目の場で舞いをまう吉子を見て、宗貞が詠んだ和歌がこちら↓
- あまつ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ をとめの姿 しばしとどめぬ
- (訳)風よ 強く吹いて 天女が帰る道を 閉ざしてくれないか 今しばらく 彼女の姿を見ていたいから
色恋を犠牲にして、夢を追うことについて考える
当時の女性の置かれていた状況は、令和の時代とは大変に異なり、女性が男性と肩を並べて競い合う事が困難であり、女性は生きるには不自由が多かったことが想像に難くなかったのではと思います。
そんな時代でも、吉子は慕っていた宗貞との結婚よりも、自身の叶えたい夢(歌人として生きる道など)を直向きに追い続けた…というのは、職業人として生涯現役で心理の仕事を貫き通したいと考えていた私の心をガツンと掴まれたのを、今でも覚えています。
『私も彼女のように、ひたすらに、貪欲に、己の信じる道を極めていきたい』
当時の若かりし私は強く願ったのを覚えてもいますし、同時に、その吉子の夢を応援してくれた宗貞の器の大きさにも心惹かれました。
立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰(かへ)り来(こ)む<中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)>
百人一首の17番の作者・業平の異母兄である在原行平(ありわらの ゆきひら)は、在原氏の長として、勉学と仕事に励み、有能な官吏(かんり)として中納言まで昇進。
妻の弘子との関係も良好であり、この度因幡守(いなばのかみ)に任官(出世街道に乗っていた)。
出立前に弟である業平のことで頭を悩ませていた、作中の行平と弘子の会話のやりとりがこちら👇
弘子:そういうお話を聞くと 自分の男運の良さをかみしめてしまいますわ。
行平:ふぅん?おかしな謙遜があったものだね。
弘子:謙遜とは?
行平:私たちの仲が円満なのは互いの努力があるからじゃないか?
弟夫婦に足りないのは運ではなく、夫婦であるための努力や思いやりだよ。
弘子:それはもちろん。でもやはり、互いを思いやれる相手と出会えたわたくしは、運が良いのです。
~超訳百人一首 うた恋い。2 和歌物語3 在原行平&弘子より一部抜粋にて引用~
そして、因幡への出立の日。
「仕事はもちろん大事だが、君が困っているなら その時はどちらを優先すべきかなんて決まってる」という行平に、「因幡になど行かないで。ずっとココにいてください。」といった意地悪を弘子はしかけるも、行平の愛ある意地悪返しにあって観念する。
そのやりとりの後の和歌がこちら↓
- 立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む
- (訳)私は行かなくちゃ でも君が呼べば 必ず帰ってくる 必ず
行平:奔放な異母弟(=業平)をうらやましく思った時期もあった。
けれど今は ただ哀れに思う。
寄る辺のないあの子は、ひどく哀れだ。
彼は愛する人と信じあい、育み続ける喜びを知らないのだ。
たとえ世界がひっくり返っても、必ず自分の味方でいてくれるだろうと、そう思いあえる相手が、彼にはいないのだから。
〜超訳百人一首 うた恋い。2 和歌物語3 在原行平&弘子より一部抜粋にて引用~
夫婦間の絆を考える
今とは異なり、政略結婚が主流であった時代では、「好きな相手と必ずしも結ばれるわけではない」という現実がごく自然に存在していたことを考えると、行平と弘子夫妻の絆は本当に稀有な存在だったのかもしれません。
例え自由恋愛が難しいその時代に、尊敬できる・愛するべきところがあるそんな相手と結ばれたのであれば、その関係をより強固なものにできるように、日々お互いに関係維持の努力をしていくことの大切さは、今の時代にも通じる考え方であるな、と思いました。
相手も自分も人間ですから、時に相手の粗が見えてしまうかもしれません。
そんな時は、そこだけで相手の全てを捉えようとせずに、欠点と思える部分以外の愛することの出来る部分を探す癖をつけたりしながら、その人を様々な角度から理解する努力を続けられることは、夫婦間の絆の維持に繋がるかもしれないですね。
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世(みよ)にふる ながめせし間に<小野小町(おののこまち)>
六歌仙の一人で、女官として宮中に仕えて優れた和歌を多く残した小野小町(おのの こまち)。
宮廷一の女流歌人としての名声は束の間、帝との間には子どももなく、帝亡き後は後宮を出てひっそりと余生を過ごしていました。
その時の小町の心情が綴られたシーンがこちら👇
こんなふうに心細い夜は・・・・・・考えても仕方がないことに思いをめぐらせてしまう。
ーあの時、お兄さまを受け入れていたなら 私にはもっと違う未来があっただろうか。
もし人生をやり直せるとしたら、私は違う選択をするだろうか。(略)
すべて覚悟の上、自分で選び歩んできた道。後悔なんてないわ。(略)
ここまで生きて、私は何を残してきたのだろう。ただいたずらに、自分をもてあまして生きただけなのではないか。
このまま・・・・・・独りさびしく死んで、誰の記憶にも残らないのではないか。
・・・・・・怖い。
〜超訳百人一首 うた恋い。2 和歌物語4 小野小町より一部抜粋にて引用~
そんな悲しみに身を投じていたところ、文のやり取りで様子がおかしいと感じた文屋康秀(ぶんやの やすひで)と在原業平(ありわらの なりひら)が夜中突然訪ねてくる。
一その後、3人で十六夜の月のもと各々の近況や心情を吐露していく中で、小町が作中で詠んだ和歌がこちら↓
- 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に
- (訳)きれいな花も 咲いたままではいられない ぐるぐる思い悩んでいたら 私もあっという間に おばさんになっちゃった
その後、業平たちが作中で話した内容がとても印象的でした👇
業平:先ほどの和歌、人並に結婚をして、子供に囲まれていたら、詠めましたか?(略)
あれこれ悩んできて、寄る辺なく過ごすあなただから詠めた和歌です。(略)
康秀:なにも出世だの子を残すことだけが 自分を残す手段ではないんですよね。
業平:そうとも。
私たちは歌人だから、自分が生きた証を和歌にして、人の心に残していける。
だから つらくても胸をはりましょう。
そして これからも、たくさん悩んで、自分の和歌を残していこうじゃないか。
小町:ええ。
〜超訳百人一首 うた恋い。2 和歌物語4 小野小町より一部抜粋にて引用~
老いていく人生を考える
私自身、今よりも若かりし学生時代を振り返ると、若い頃にはただただ考えても答えのでなかった漠然とした『不安』に押しつぶされそうになっていたことがありました。
一方で、年を重ねるうちに様々な経験を通して見通しが立って和らぐものもありました。
若い頃とは違う視野の広がりを老いと共に感じると同時に、何に対して怖さをもっていたのかといった、はっきりとした『恐怖』を認識することも多くなりました。
それは例えば、「このまま結婚できなかったら?」「今の仕事を一生涯続けられるのか?」「子どもを産むことが出来るのか?」「子どもを自立まで育てあげることが出来るのか?」などといった、内容のものでもあったかと思います。
そして、この話の中で出てくる小町の恐怖の一つでもあった、「ここまで生きて、私は何を残してきたのだろう」という思いは、結婚して子育てをしている身であったとしても考えさせられることなのだなぁ、と切に感じられました。
ただし、ただただ恐怖に振り回されるだけでなく、経験を重ねていくことで『今の自分がしてきたことを認める』『今の自分に出来ることを信じ誇る』といったこともまた、出来るようになってきているなぁ、とも感じさせられました。
まとめ
今回は、『超訳百人一首 うた恋い。2』の中からいくつかの場面をご紹介と、私自身が過去の経験と照らし合わせて学び・考えたことを書いていきました。
31文字の和歌の中に、当時の歌人の想い・人生観が詰まっているのだなぁということを、本作を読むことで気づかされることが多くありました。
百人一首を知識として学んだ学生時代には想像すらできなかったストーリーが、歌人1人1人にあり、彼らも時代は異なれど、現代の私たち同様に抱く感情をもちつつ人生を生きていたということは、これからを生きる私たちの励みになる様に感じます。
- 同じ子育て時間、折角過ごすならストレスレスでいたい!
- 子育てを通して、親である自分も成長できたらなと思う
- なかなか解決できない問題って子育てにはあるよね?
- みんなはどうやってストレス発散してるの?
- みんなは自分と同じことで悩んだりするのだろうか?
などなど・・・
☞障害の有無関係なく、ひとりひとり個性をもった子ども達を育てている親御さんにとって、『毎日大変だけど…子育てって、楽しいこともあったりするな』、『私たち頑張ってるよね~』、と思える体験をこのブログを読むことで、少しでもよいのでしてもらえたら嬉しいですね***
ではでは、またお会いしましょう~!
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